かつて松島・九条は芸能の集積地だった

タイトル画像は明治明治5年頃 一養亭芳滝による当時の松島新地の賑わいを描いた作品。

「実川延弱」「嵐瑠寛」「坂東寿太郎」「市川右団治」「嵐橘三郎」ら役者の幟が華やかです。

 

松島八千代座(スーパー玉手九条店あたり)

 

明治5年(1872年)松島文楽座が松島廓に開場、この時から人形浄瑠璃を文楽と呼ぶようになりました。世界遺産の文楽という言葉はここ松島が命名の地。文楽座は明治17年(1884年)御霊神社の境内に移転しましたが劇場は松島八千代座と改称され歌舞伎・演劇が催されました。坂東妻三郎は八千代座の楽屋でマキノ監督から映画への転向を誘われ、銀幕のスターになりました。また、八千代座前で松下幸之助がお見合いをした話は有名です。諸芸の分野でも吉本経営の松島花月・松島広沢館・九条正宗館など数多くの小屋がありました。

松島文楽座初公演(1872年1月公演)の番付。

国立文楽劇場所有

松島芦辺館、吉本興行部が買収松島花月に改名。千代崎橋西交差点から2軒北側、木津川沿い。

九条・松島地域の劇場変
九条・松島地域の劇場変

松島・九条地域の劇場地図。住所表記は現在の表記になってます。

松島町は現在「千代崎」に改名されています。松島公園だけに松島の名前が残っています。ここも飛田同様に消された地名です。九条は現在でも九条のままです。

地図から劇場の変遷がうかがえます。

松島文楽座は松島八千代座に今はスーパー玉手になってます。同年に出来た松島大芝居は全くわかりません。

九条新歌舞伎座は現在「みずほ銀行」、九条朝日座はパチンコ店、九条末広館はカラオケ店。当時を忍んでの街歩きも面白いです。

茨住吉神社周辺の映画館
茨住吉神社周辺の映画館

映画全盛の昭和30年代、この地域だけで8館の映画館がありました。茨住吉神社周辺だけでこれだけの映画館がありました。この九条八千代座と松島八千代座(元文楽座)は別の劇場です。現在はシネヌーボーが一軒だけです。